自分と向き合う為に

子供を産んで一週間後、不倫の末に21歳の主人を亡くしました。
答えの無い毎日、消えない痛み。
誰にも吐き出せない想いを少しずつ吐き出して、本当の意味で前に進める様に。

お通夜

お通夜の日。




親戚も一緒に参加してくれる事になり、

大きなレンタカーを借りて皆で向かった。



まだ生後間もない息子も連れて。







まだこの時も現実味の無い私だった。




きっと

何かの間違いで、


きっと

これはドッキリで、


きっと

ごめんね、許してくれ

その為にこんなイタズラしたのだと



きっとそうだと、自分に言い聞かせてた。









でも、葬儀場に着いて、

目に飛び込んで来た旦那の名前。





一気に心臓がバクバクして


呼吸が出来なくなって


倒れそうな私は抱えられて葬儀場に入った





控え室で、泣き叫び、立っていられず

横になりながら、ただ唸る様に泣き叫ぶしか出来なかった。




初めてだった。





寝ている旦那の前に行く時、

支えて貰いながら行ったけど、



手も足もガクガク震えて止まらなかった。





こんなにも一番近い存在の死が初めてで、

人形にしか見えなかった。



違う、旦那じゃない。

どこかに隠れてるんだ。絶対違う。嘘。



何度も何度も言った。






沢山の人が参列してくれていたけど、

誰も目に入らなかった。



ただ震える手を抑えている事で精一杯。




正直、他の事は何も覚えてない。

どうやって、どのタイミングで帰ったか、それすらも何も覚えてない。












もう4年経ったのに、こうして書きながら、

涙が止まらなくなってしまうのは、何故なんだろう。



これは、何の涙なんだろう。

受け止めきれない現実

その後、母に電話が来た。



電話口で、明らかに慌て、そして絶句している母。



一瞬で、

普通じゃない、嫌な予感がした。






それからの事はあまり詳しく記憶が無い。



断片的にしか、記憶が無い。




母は私に嘘をついた。


自殺未遂をして、今病院に運ばれてる。


と。






でも、友達から、

大丈夫?明日の通夜行くからね。

と、ラインが入り、私も事実を知ってしまった。



取り乱す私を必死に支えてくれる母だったと思う。

本当にあまり思い出せないけど。



ただただ、現実を受け止められなくて、

夢であって欲しいと人生で一番叶わない我儘を言って、

子供以上に泣き叫んだ。


半狂乱になって泣き叫ぶ私を母は必死に抱き締めてくれていたと思う。






翌朝、3時間掛かる田舎から親戚が来てくれた。


県外から親戚も、兄も駆け付けてくれた。

父も出張先から飛行機で帰って来てくれた。




そうだ、、

父が私の顔を見た瞬間、泣いたんだ。




私も涙が止まらなかった。

大人になって初めて父の胸で泣いた。



皆に悲しい思いをさせて、ごめんなさいって、

何度も謝ったけど、自分の事すらも保ててなかった。







それでも、まだ私は現実味が無くて、

ずっと抜け殻の様にボーッとする事しか出来なくて。



産後間もない私の為に、授乳出来る様な喪服を買いに走ってくれた親戚。




翌日、通夜だった。



里帰りしていたから、

一時間程掛かる旦那の元へ、初めて帰った。

誰よりも大切な存在

色んな事があり過ぎて、

充実した、幸福に溢れた妊婦生活なんて全く送れなかったけど、


産む前から心に刻んでた事がある。




“この子は私の子”

“私が命を掛けて守り産み育てていく”



どうしても旦那が許せなくて、

最低な事を言われたり、


それでも子供に罪はない。

私のお腹を蹴るこの子は、かけがえのない“私の子”



旦那の子だから、大切にするんじゃない。

私の子だから命を掛けるんだ。


って、思って、出産に臨んだ。






産まれてからは、やっぱり可愛くて、

出産し、一目見た瞬間、


あぁ私、きっと今世界で一番幸せだ


って思った。





母子同室も待ちきれなくて、

夜中に出産し、朝一で新生児室に迎えに行ってしまった。



入院中も色々悩んだけど、

可愛くて、愛しくて、仕方なかった。



我が子以上の存在は居ないと確信した。







無事、それから退院の日。



2日に出産し、8日に退院。


翌日旦那から電話が来た。



息子の声を聞かせてって。




ちょうどオムツ替えで、

掛け直す…と言ったら、10分後もう出なかった。



その頃もう、旦那はこの世に居なかった。