自分と向き合う為に

子供を産んで一週間後、不倫の末に21歳の主人を亡くしました。
答えの無い毎日、消えない痛み。
誰にも吐き出せない想いを少しずつ吐き出して、本当の意味で前に進める様に。

供養

旦那が亡くなったのは産後1週間後。


床上げ前だったけど、毎週毎週欠かさず、

車で1時間弱掛けて供養の為、お寺に通った。



まだまだ新生児の小さな息子を連れて。


まだまだ産まれたての赤ちゃんなのに、

連れ回して本当に申し訳無かった。





まだ色んな事を普通に考える余裕も無く、

この時の記憶も殆ど無く、



ただ、母が後から言っていたのは、

産後間もない私の体を気遣う様子は無かった

と。



確かに今思うとそうだったのかな。



でもきっと、皆が余裕が無かった。



皆で泣いて、支え合ってなんとか笑う。


そんな感じの繰り返しだった。






供養には勿論全て通い、

私の親戚がお世話になっているお寺にも通った。



とても親切な住職さん

私の話を丁寧に聞いてくれた。



住職さんに話しながらもボロボロ泣いた。


お経を聞くと涙が止まらなかった。




一番近い人が突然亡くなって初めて、

死後の世界を知りたくて調べた。



姿の亡くなった旦那は、

今どこに居て、何を思っているのかと、

答えが欲しかったのかもしれない。



ネットで調べ、本を読み、

自分が救われる言葉や考え方を探した。




結局そのお寺で

永代供養をお願いする事になり、



今でも毎日、朝昼晩、

住職さんにお経を唱えて貰ってる。

負のループ

旦那がこの世から居なくなって、

あんな最後を迎えて、



毎日が真っ暗だった。

自分を責め、旦那を責め、不倫相手を責め、


だからって何一つ救われる事はなく、

泥沼から抜け出せずボロボロだった。






息子が居てくれる事が唯一、生きる希望であり、

私は生きないといけないと、私を掻き立てるものであった。







それでも、

朝がくると絶望で、

夜寝る時はこのまま目が覚めなければ


と、毎日毎日思った。



息をするだけでも、苦しいと感じる程、

ただ何もせず、生きるという事が辛かった。






泣いて泣いて泣いて

いくら泣いても何も変わらなくて

ただ毎日が過ぎていって、





そのうち、

誰にも何も話したくなくなって、

話した所で分かった様な顔されるのも嫌で、

無理に笑顔で過ごす様になった。

お葬式

お葬式の日。




この日の事も殆ど記憶が無い。




また親戚や親に囲まれて、

支えられながら、お葬式へ行った。





とても暑い日だった。






覚えてるのは、


喪主だから、

焼却炉の鍵を回さないと行けなくて



でも、この鍵を回したら、

焼かれてしまう。

もう二度と姿を見れない。

もう二度と触れられない。


そう思うと私には回せなかった。




だから、お義父さんが一緒に回してくれた。







焼き上がり、

喉仏を運ぶのに、手が震えて、箸が上手く持てず、またお義父さんに助けて貰った。







この後からも記憶が無い。




これから数ヶ月、一週間毎に、

生後間もない息子を連れて、

私も産後間もなかったけど、

旦那の元へ、お寺へ、供養へ通った。






子供が居なかったら、

きっとご飯も食べられなかった。



だけど、母乳だったから

なんとか食事をしてた気がする。



味なんてする訳ない。


何を食べた、いつ食べた

なんて、何も覚えてない。